小堺一機さんは、絵を描くのが好きで、デザインを学べる高校に行きたかったそうだ。でも中学2年生の時に「色弱」だと告げられて、芸術高校の試験を受けられなかった。そんな時、父にかけられた言葉あったそう。
「いいなあ、お前、人と違う色が見られるんだから」と。
「もうちょっと気を使えよ」と思ったそうだが、つらい時、つらい方向からではなく、物事をひらけたほうから見ることで、人生が開かれていったそうだ。
今日の夕刊を読みながら、「そうか〜、そう言われると違うことも悪くないのかな〜」と肯定的に思う自分がいたけど、高校生だった私がこの記事を読んだらどうだっただろう。
きっと、この言葉に耳を塞いだに違いない。「違う色?違うから困ってるんだよ。同じじゃないと苦しくなる一方なんだよ!」と紙をくしゃくしゃにして暴れたに違いない。
どの音も同じ大きさに聞こえてしまう耳を持った私は、必要な音を目立たせて聞くことができない。
先生の話が大切だと分かっていても、風の音も飛行機の音も、話し声も、どれも同じ大きさで聞こえてくるから、音声としては聞こえているけど、先生の話し言葉が意味を持った言葉としては届いてこなかった。
この時はまだ、障がいのことも知らなかったから、言われるがまま「集中力が足りない」という言葉を自分に当てはめた。
英語の筆記は並にできても、リスニングはどれだけ頑張っても、1割しか正解できない。背景のBGMや雑多音をどれだけ頑張っても取り除けなかった。
耳が悪い、集中力が足りないと自分を必要以上に責めた。
あの時、
「いいなあ、お前、人と違う音が聞こえるんだから」
と言われたら、死にたくなりそうだ。
大学に入って自分の障がいを知った私は、
授業で特性にあった授業が受けられるようにするため、自分の困りごとを伝える機会があった。
どういう聞こえ方がするのか伝えた時、物理の先生はこう言った。
「それは、大変だったろう。よく頑張ってきた。」
涙を流すつもりなんてなかったのに、止まらなかった。
もし、今回のような新聞や本、好きなアーティストの励ましの言葉を聞いたとして、その通りに受け取ることができなくてもいいと思う。今その時に思っている感情が、正直な気持ちだから。
物理の先生は続けてこうも言った。
「どうすれば聞こえやすくなるか、考えなきゃいかんな。君はぎりぎり大学に入って来れたけど、それで困って入れなかった人たちもいるということだ。」
なにかできることはないかと、奮闘してくれる人がいる。
今、目の前にいない人のことも考えて動いてくれる人たちもいるから、今、一人真っ暗なところにいても、自分で灯りだけは消さないでほしい。
書いてみたけど、これもやっぱり自分の傲りかな。