昨日、せんせいがスーパーで丸鯵を買ってきた。
「塩焼きにする?鮮度良くて、刺身でもいいんやって!」
塩焼きにするにはもったいないくらい、丸々とした鯵だった。
「どっちでもいいよ。」
といつものようにせんせいは言う。
せんせいと初めて会った大学生の時、私は自分の気持ちを外に出せずにいた。
これまで責められたり、怒られてきた経験が多すぎて、自分の意見で人に迷惑をかけるんじゃないか、怒られるんじゃないかと思うと伝えるのが怖くなっていた。
今もその感情がないかと言ったらそれは嘘になる。
それでも伝えられるようになってきた。
「Ajuはどうしたいの?思ったほうを選んだらいいんだよ」
とせんせいと会ってから何十回、何百回と、自分の声を聞こうとした。
「それじゃ、そうしよう」
と肯定してくれると、胸が痛くならない。
少しの小さな肯定の積み重ねで、これまで感じたことのなかった安心感を感じられるようになった。
私はよく笑って「褒められると伸びるタイプです!」と言うけれど、本当のところ、過剰な叱責はもう懲り懲りだと自己防衛したい裏返しの言葉なのだと思う。
「塩焼きと、刺身とどっちがいい?」
だんだん答えられるようになってきた。
今日は塩焼き!今日はお刺身!
自分の声を聞くってとても大切だ。
でも今はちょっと違う。
昨日もそうだった。
「どっちでもいいよ」
と言われたけど、せんせいはどうかなと考える。
迷惑にならないかとか、怒られないかと考えていた訳じゃない。
お刺身が好きなせんせいだから鯵を捌いてあげたいなぁと思う気持ち。
「お刺身!」
と答えると
「え!捌いてくれるの?!」
と嬉しそうだった。
せんせいが何百回も「自分の気持ちを大切に」と言ってくれている間に、私はせんせいが喜ぶ姿を想像するようになっていた。
「自分を大切にできると、他の人のことも大切にできるんだよ」
って言ってくれてきたこと、少しずつ分かってきたよ。ありがとう。