Aju

1989年 大阪に生まれる
2014年 大阪教育大学卒業
2016年 東京大学先端科学技術研究センターで1年間勤務
2017年 東京・日本橋〜京都・三条大橋を経て大阪・堺まで東海道五十三次を
    58日間かけて踏破
2018年 アーティストとして本格的に活動を始める
大阪市内のパノラマを記憶から4mのパノラマに描く

周囲から「なんかちょっと変わっているよね」と言われ、自分自身、どこか大多数の人と違っていると感じながらも、それなりに過ごす。しかし、高校生になって「場」の空気の読めないことを初めとして、「生きづらさ」が顕著に現れはじめる。大学進学後も教室に入れないなどの「生きづらさ」に苦しみ、「発達障がい」と診断される。
このような辛い現実と向き合う中で1つの支えになっていたのが「描く」ことだった。主に乗り物や建物・都市の風景を描く。下書きをしないで描きあげる作風から、現在は心に残る風景を記憶から描くなど日々新しい自分を発見している。数の世界にも惹かれていて、いつか数の世界を絵の中で表現したい。


【個展】 
 2019.10 Aju個展−大阪を描く−(大阪・難波:乃村工藝社)
 2018.12 Aju展(三重・名張市:SENSART_Gallery)
 2018.1 Aju展(大阪・難波:乃村工藝社)
 2018.5 Aju is back(大阪・堺市:IRISER)
 2018.2 亜樹個展(大阪・堺市:Relic gallely&cafe/bar)
 2017.7 Aju展(兵庫・神戸市:神戸大学「カフェアゴラ」)
 2017.4 Aju展(大阪・堺市:小谷城郷土館)
 2016.1 Welcome to the world of Aju(大阪・堺市:IRISER)
 2015.5 Aju初個展(大阪・堺市:自宅)

【ライブペイント】
 2019. 紹介したい作家展 (大阪・通天閣:HOME HOSTEL OSAKA)
 2018.  堺アートワールド(大阪・堺市:堺市産業振興センター)
 2018.  ソウルフルアート(大阪・堺市:東文化会館)
 2017.  堺アートワールド(大阪・堺市:堺市産業振興センター)
 2016.  堺アートワールド(大阪・堺市:堺市産業振興センター)
 2015.  堺アートワールド(大阪・堺市:堺市産業振興センター)

【グループ展他】
 2018.11 けしきとけはひ(大阪・堺市:Relic gallely&cafe/bar)
 2018.9 アートストリーム2018(大阪・心斎橋:大丸心斎橋店)
 2018.8 ビッグ・アイ アートプロジェクト巡回展(大分:大分県立美術館)
 2018.8 ビッグ・アイ アートプロジェクト巡回展(大阪:ハービスOSAKA)
 2018.5 DIVERSITY IN THE ARTS(東京・神奈川:Bunkamura Gallery/  横浜ラポール)
 2017.  FUN!FUN!KOFUN!(大阪・堺市:利晶の杜)
 2017.  白鷺アートアベニュー(大阪・堺市)
 2016.  異才とアート(東京・目黒区:東京大学先端科学技術研究センター)
 2016.  白鷺アートアベニュー(大阪・堺市)
 2016.  さかいクラシック(大阪・堺市:紀陽銀行)
 2016.  山之口商店街(大阪・堺 :夢庵)
 2015.  木の響きを愉しむ町家コンサート(大阪・堺市:山口家住宅)
 2015.  みてアート2015 招待作家として(大阪・大阪市)

【賞】
 2017.  ビッグ・アイ アートプロジェクト2017 「大阪国際がんセンター賞」受賞
 2017.  アートストリーム2017 「乃村工藝社賞」「大阪水上バス賞」受賞
 2016.  堺市長から「火災予防ポスター」に対する感謝状贈呈
 2015.  障害者雇用月間ポスター「理事長奨励賞」受賞


Aju Story

絵を描き始めたきっかけは、せんせい(大学の時に出会った、現在も共に歩く人。ちなみに美術の先生ではない。)から1冊のスケッチブックをもらったことだ。裏紙に描いたN700系の新幹線を見たせんせいが「裏紙に描かんとこれに描き〜」と手渡してくれたスケッチブック。その当時、発達障がいの診断を受け、誰にもそのことについて話せない中で、唯一心を開けたのがせんせいだった。そんなせんせいからもらったスケッチブックは私にとって大切なものになった。「障がい」という言葉がもつ恐ろしさ。その言葉を声に出せず、人に伝えれないで苦しむ日々の中、せんせいが手渡してくれたスケッチブックに絵を描くことで気持ちが和らいでいた。

裏紙に描いたN700系新幹線
Ajuとせんせい

絵を描くと少し気持ちがすっきりした。今考えなければいけないことから逃れたい気持ちから描くことが多かったが、描き終えると、描く前にあったもやもやしていた気持ちが少しだけ抑えられるようだった。その時の自分にとって描くことは、現実から目を背けるためだったのかもしれない。自分のために描いていた絵だが、大学の先生や事務の人が見てくれるようになり、「描き方が面白いな〜」「下書きせんと描けんの??すごいな〜!!」「細かいな〜!」と言ってくれる。その言葉がなんだか嬉しかった。いつも沈んだ顔ばかりしていた自分だが、このような言葉を聞いて、楽しい会話をできる時間が嬉しかった。「もっと描いてみたいな〜」そう思った。

2013年 ビッグ・ベン


将来は学校の先生になるつもりで教育学部に進学したが、人前ではとても緊張してしまい、伝えたいことが伝えられない。耳が敏感すぎて、子どもたちの声を辛く感じてしまう。人と話すことは好きなのに、頑張って人と交わろうとすると身体に蕁麻疹が出たりする。学校の先生になることは私にとって難しかった。

絵の道で生計を立てることが難しいことはよく理解している。ずいぶん悩んだけど、せんせいの一言が後押ししてくれた。「多くの人が好きな仕事をしている訳ではないけど、少なくとも私は好きな仕事している。だから、Ajuも好きなことをすればいい。障がいがある・ないに関わらず、Ajuがしたいことを仕事にしてみたらいい。ただしきちんと腹を括りなさいね」と言われた。金銭的な面での不安は拭いきれなかったけど、腹をくくった。

1年間東京で勤務した後、東京から大阪まで歩いて帰りたいと思った。それは福島県へ「山下清展」を見に行ったのがきっかけ。彼が東海道五十三次を歩いて絵を描いて旅をしていたことを知り、私もやってみたいと思った。入念に準備・計画し、2017年4月1日から58日間かけて、東京・日本橋〜京都・三条大橋の東海道五十三次を経て大阪・堺まで踏破した。おおよそ697kmの旅だった。58日間に描いた絵は、61枚になった。道中で見た景色は、直線や四角が好きだった私に曲線など柔らかくてあたたかい世界を見せてくれた。

東海道五十三次

絵を描く以外に数や形も大好きだ。数えるのが好き。ナンバープレートをみて左から順に計算して「10」にする遊びも好きだ。お散歩の時にこの遊びは欠かせない。数字には色や感情があるから、人の気持ちや感情も数字がそばにあると理解しやすい。薄黄色で弱くゆっくり点滅している「4」は私に似ている。またカレンダー計算?(計算しているのか定かではない)もする。2年程前に強烈にカレンダーに惹かれていた時期があり、それはいつの日かきれいな形になって現れた。9072年11月30日が土曜日だと分かるのもこれらの数字に囲まれているからかもしれない。いつか数の世界を絵の中でも表現してみたい。

オウム貝に見る形の世界

2018年には、大阪市内の景色を記憶から4mのパノラマを描き上げた。いつも頭の中には映像が浮かぶ。私にとって頭の中で見える「数」や「映像」や「形」は、物事も理解するために必要不可欠だと思っている。人と話すときや、文章を読むときも、言葉を言葉として理解しているのではなく、頭の中に「映像」が浮かんできて(映像に変換されて)見て理解しているようだ。「明日は晴れ」と聞くと遠くが明るく見えてくる。「大したことはない」と聞けば、起伏のある地面がなだらかになっていく映像が見える。もし、頭の中で何も見えなかったら、どのようにして物事を理解すればいいのか想像できない。人と同じような思考になりたいと思った数年間があったが、そこに私らしさは見つけられなかった。自分の理解しやすい方法で、物事を理解することが一番大切だと思う。
私にとって絵を描くことは、言葉を紡ぐことと同じだ。これからも考えていることを、見えていることを自分の言葉を使って表現し続けたい。

一歩一歩、その先へ。

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