[きまぐれ料理]突然のメンマ作りと何百回目かのこの世の終わり

どういう風の吹き回しか、最近自分では作れないだろうなと思ってきた食べ物を作ってみたくなる。普段は、「せんせい」の手料理がほとんどで、時々、いや、たま〜に作る時があるけど、レパートリーは少ない(笑)。それなのに、「突然」本格的に作ってみたくなる。

ずっとは続かないけど、短期間に「熱烈に」「(気持ちは)プロ級に」極めてしまいたい衝動がやってくる。
ということでメンマ作りが始まった。

よく出回るたけのこのシーズンは終わっていたけど、せんせいと行った道の駅で、今が旬らしい「まだけ」を手に入れた。

まだけ

たけのこのアク抜きは初めてだったので、「母ちん」に教わった。母ちんは昔ながらの料理ならなんでも作れる。

ここの家にいると、なつかしい暮らしを感じることができる。
イカナゴの釘煮、生姜・らっきょうの酢漬け、わらびの下処理からお浸しまで、「昔ながらの風景」が、ここには「日常の風景」としてある。

都会育ちの私には、タイムスリップしたような感覚だったけど、今はもうすっかり慣れて、助手から一人前になり、活躍している。自画自賛もここの日常風景で、メンマが作れそうな気がしたのは、「昔ながら+なんでもやってみる」というこの暮らしがあるからかもしれない!

アク抜きを終えて「教えられるのはここまでだよ」と母ちんに言われてから、いろんな料理サイトを見て、本格メンマができそうなページを参考に進めてみる。

1週間塩漬けをして、4日間天日干し。「メンマさん」はみるみる痩せていく。
天日干しを終えた、11日後には、力を入れると、ウエハースのように潰れてしまうものもあった。ここまで細く、薄くなってしまっていいのか、急に不安になる。

日に日に細く薄くなっていく「メンマさん」

初めてのチャレンジでは、失敗が怖くて「失敗したらどうしよう。せっかく作ったのに、美味しくなかったらどうしよう」と最後まで作らないうちから、うまくいかないことしか考えられなくなる。頭の中がそのことでいっぱいになると、感情は外に溢れ出てしまう。

私の大変なところは、その感情に支配されると次に進めなくなるところ。その感情の溢れ方が、この世の終わりのように大騒ぎし、乱れてしまうところだ。

そんな状況を救ってくれるのは、たいていせんせい。せんせいは「失敗?なんでも経験、経験!!うまくいかんかった時は、そん時。また作ったらいいやん。何回でも作ってちょ〜だい♪この世の終わりみたいな顔せんといて〜♪」とたいしたことないよ〜?というような言葉をかけてくれる。私といるとせんせいは、この世の終わりを何百回も経験しなければならない。

それでも私にはその都度、この世の終わりを回避してくれる言葉がけは、不安感を和らげてくれる。

感情のコントロールの仕方は、少しずつ身につけているけど、安心できる人から大丈夫と言われると、自分で対処しようとするより感情が和らいでいくのは本当に不思議だ。

この「せんせいの声かけ」のおかげで、私の頭の中が通常運転に戻っていくように、痩せ細ったメンマさんも「塩抜き」によって、元の体型に戻っていった。

息を吹き返したかのように、泡を吐き出す「メンマさん」

それからは驚くほど順調。味付けも参考にしているレシピどおり。
煮詰める時間も書かれているとおり、キッチンタイマーでカウントダウン。
時間が経つごとに、スーパーに売っているメンマと同じ色になっていった。

できあがりは、綺麗な色艶をしていた。

自分で作ったメンマは市販のものに比べて、歯応えがあってとても美味しい。たけのこの味が、ほのかに残っている。「母ちん」はご飯のお供に食べてくれて、せんせいは時々つまんでくれる。

翌日、ラーメンに添えて

私の新しいチャレンジには、この世の終わりが付いて回ってきて、自分で自分のことを落ち着かせることが難しい時もあるけど、うまくできると喜びもひとしおだ。「母ちん」「せんせい」が美味しく食べてくれるともっと嬉しくなる。
また、他のものも作ってみたいなと思う。
できれば、次作るときには、この世の終わりが来ませんようにと願うけど、この願いももう何百回目だろう。

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